創業明治三十四年 野幌銘菓煉化餅 ホーム > 手作りお菓子
一口サイズの白いお菓子です江別の各種銘菓を取り扱っております。
全て無添加の手作り商品。 是非一度ご賞味ください。 煉化もち 啄木が食べ損なった名物
風来坊の啄木さんをして『名物の煉瓦餅』と言わしめ、現在も連綿とする野幌の煉化もち、発売までにはちょっとした経緯がありました。 上品な一口サイズ
淡白な味付けのお餅にうっすら透けて見えるこしあんは、甘さが苦手な方でも平気なくらいほんのりと優しい甘みです。 さっくりとした歯ごたえをお楽しみください。 時代を越えて愛され続ける、とってもかわいい白いお菓子です。 誕生秘話
煉化もちを語るとき、功労者として久保兵太郎の名を欠くことはできません。 まず彼の略歴を示しましょう。 彼は元治元年(1864)阿波国に生まれます。 のちに上京して鉄道局に入るが、父・栄太郎が北海道炭鉱鉄道㈱から野幌煉瓦工場の経営を委託されたのを助けるため、明治30年来道します。 34歳の時でした。 その後、大正14年まで同工場の経営を差配するが、この間札幌商工会議所副会頭(のち、昭和2年から7年間会頭)、旭川水力電気㈱取締役、札幌軌道会社社長など道内の実業界で八面六臂の活躍でした。 が、昭和8年2月、69歳で永眠。まさにこれからの活躍が期待されていた年でした。 この平太郎が、国鉄函館本線の野幌駅南側で雑貨店を営む佐野利吉にすすめ、明治35年からから駅売りを始めたのが煉化もちです。 そのいきさつを、利吉の妻タオはこのように語ります。 「商売(雑貨店)の方は煉瓦場方面の貸し倒れのため失敗して、此の上は詫を入れて帰国するより外なくなったので、此の事を久保さんに相談したら、駅売りしたらどうかと言はれました。 某庶で取り敢えず当時の炭鉱鉄道会社に駅売りの許可を申請し、一方売る品物を選択にかヽりましたが(中略)、色々と相談の末、野幌は煉瓦の産地であるから之を象った餅を作ることにした」 駅売りの初日は35年4月2日でした。 これがなかなかの評判で、たちまち江別駅の「江別まんぢゅう」と並んで、野幌駅の「煉化餅」として知られてゆくのです。 名前の由来
既にお気づきでしょうか。 「煉化餅」は、“煉化”であって、“瓦”ではありません。 前出のタオさんによると、食べ物に瓦では具合が悪いと、平太郎と利吉が頭を寄せ合った結果、“瓦”は食べられないが、“瓦”が“化”けたら食べられるだろう、と一決。 このようにして「煉化餅」の誕生となったのです。 江別まんじゅう 江別で最初に作られたおまんじゅう
えべつまんじゅうは、明治18年より作られている伝統あるまんじゅうです。 厳選された十勝小豆を中あんに包み、たんぱくでソフトに仕上げて見ました。 当社の真心を込めた技術と味をご賞味下さい。 限定1日10箱
昔のままの完全手作業で、大切に大切に作ります。
だから大量生産はできません。 良い材料をシンプルに使った素朴な風味。 いつ召し上がっていただいても、できたてのふんわりとした食感をおたのしみいただけるのが自慢です。 |